泣いてる子にイライラするのは、なぜ?
突然ですが、、
皆さん、
“泣いている子ども”
を見ると、どう思いますか?
「かわいそう」?
「心配...」?
「子どもは泣くもの」?
それとも、、
「うるさい」...?
これは、
我が子か、我が子ではないか。
にもよるかと思いますが、
仮に、
我が子であった場合、どうでしょう...?
正直、私は
我が子でなければそれはなかったですが、
我が子が小さい頃は、
“イライラ”
していました。。
欲しいものが買ってもらえなかった時。
言われたことをやりたくない時。
眠たい時。
お友だちと喧嘩した時。
時に、怪我した時でさえ、、
「泣かないの!!」
「なんで泣くん?!💢」
「泣くなら置いてくよ💢」
「もう知らない💢」
そんな言葉をかけて、
すぐにでも泣いているのをやめさせたかったのです。
泣いている姿を見ると、
なんだかイライラして、
うるさいなぁ💢と感じていました。
泣かない子は強い子。
すぐ泣く子は弱い子。
そんな意識が強かったんです。。
泣かない子を見ては、
「強いねぇ!」
「えらいねぇ!」
と声をかけ、そんな子をほめたたえて
我が子も“泣かない子”に育てたかったんです。。
けれど、
泣かない子が強くて、
泣く子は弱いんでしょうか...?
実はそうではありません。
私がブレインアナリストになり、
たくさんの学びがある中で
人の個性・特性をよく観察する中で、
“人の強さ”の定義も大きく変わりました❗️
何でも“我慢できる子が強い”わけではありません。
感情を素直に表現すること、
自分の気持ちをはっきり言えること、
それは、“強さ”でもあるのです😌
では、
なぜ、泣いている子に
イライラしてしまうのでしょう...?
それは、
自分が子どもの頃、泣けなかったから
だと言われています。
振り返れば、
私の幼少期~子ども時代。
両親の離婚問題で家の中は荒れ、
引っ越しを繰り返し、
母子家庭になってからは
そもそも母親と顔を合わせて
ゆっくり話した記憶もなく、
自分の思っていることや、
言いたいことを言えるような環境では
決してありませんでした。
小学生の頃の私の夢は、
誰にも頼らず生きていく
『独り暮らし』だったんです。
「とにかく強くなりたい」と願い、
たとえ家族であっても
周りに弱みを見せることは格好悪いと思い、
決して泣きませんでした。
そして、
学生時代も、大人になってからも、
常に“鎧のような強さ”をまとい、
凛としていようとしました。
いつから私は泣けなくなったんでしょう。。
最後に泣いたのはいつだろう。
きっと子どもの頃、
夜、布団にくるまって
誰にも気づかれないように
声を押さえながら
泣いていたような気もします。。
そんな私が親になり、
予想以上に大変で、
予測不可能なことの繰り返しで、
子どもの成長と同時に
私も今まで気づかなかった自分を認知するようになり、
私という人間を客観的に見て、
そんな私に声をかけれるようになりました。
「がんばったね」
「しんどかったね」
「つらかったよね」
そして、
「泣きたかったよね」
「泣いていいんだよ」
そう、自分に言えた時に、
涙があふれてきたんです。
ああ、
泣いている子にイライラするのは、
その子が羨ましくてたまらなかった
からなんだ。。
自分が泣きたくても泣けずに、
必死に唇を噛み締めて我慢していたから。
本当はたくさんわがままも言いたかったし、
素直に大きな声で泣き叫びたかった。
それが分かったときに、
自分をヨシヨシできた私がいました☺️
自分という人間を知ることは、
環境やプライドの高さなどによって、
ときに勇気がいることです。
でも、
自分と向き合わなければ、
たとえ家族であっても、周りの人を
理解することはできません。
自己認知は、人生を変えます✨️
過去の自分、
今の自分、
未来の自分、
どの自分も否定することなく本当の自分自身。
自分に対して、
周りの人に対して、
「なぜ...?」
そう思った時は、
自己認知のチャンス
なんです🌟
【脳傾向性診断】
では、
脳科学に基づいた根拠ある正確な診断で、
その方の特性・強みにフォーカスして
自己認知をすることができます✨️
まずはご自身を知り、
家族を知り、
友人や周りの人たちを知り、
そこではじめて互いの共通点や違いに
気づくことができます❗️
そして、ときに私のように
昔の自分に優しく
声をかけれることもあるんです😌✨️
自己肯定感高く、
自分が自分らしくいれること。
そこから
他者理解
ができること。
それこそが、