自分を慰める。
先日、長女の
『20歳のつどい』
(旧成人式)がありました😌✨️
あっという間の20歳。
あっという間の20年。
初めての子育てで
「◯◯すべき」概念にとらわれ、
もがきながら頑張ってきた20年。
振り返るとたくさんの反省もあり
理想の母像からは
かけ離れたものでもありますが、
それでも、
自分が子ども時代に負った心の傷だけは
負わせてはいけないという思いで、
親からの愛情というものがよく分からない中で
自分なりに模索して
母というものをやってきました💨
厳しくてばかりで
優しさをかけてあげれず
甘えさせてあげれず、
たくさんの「ごめんね」と
ここまで元気に育ってくれて「ありがとう」を
娘には伝えないと、と思いつつ、
それもなかなか伝えれず
結婚式では...!なんて考えている私です。
私が
【脳傾向性診断】
と出会って
"自分自身を理解・認めた"中で、
大きく関わったのが、、
『インナーチャイルド』
です。
心の中の素直な感情、領域。
本来幼少期に伸び伸び感じていたはずの
生まれながらの自由な感覚。
それが『インナーチャイルド』です。
自分が
大人になっても
子ども時代や思春期の心の傷が
癒えぬまま生きづらさを抱え、
インナーチャイルドが傷ついたままである
と知ったのは、
【脳傾向性診断】
がきっかけでした。
自分を脳科学的に正確に診断して
特性や他人との考え方の違いを
深く理解する上で、
やはり関わってくるのが
これまでの『環境』。
どうしてそのような思考になったのか
を考えてみると、
常に変化する思考の傾向性は
『家庭環境』に大きく影響を受けるのです。
もちろん生まれながらの
元々の特性はありますが、
私の場合は、一部それを
押し潰しながら我慢して生きてきたのだと
気づいたときに、
「辛かったね」「がんばったね」
と自分の『インナーチャイルド』を
癒してあげること、
そんな『インナーチャイルド』を
押し殺さず、傷として隠さず、
素直に認めてあげることが大切なのだと
理解することができました。
私は、遠方で一人暮らしの大学生時代、
国公立で学費免除、
生活費は奨学金とバイト代でまかない
親に負担はかけていないつもりでしたが、
親からは毎年誕生日に連絡をもらうことはなく、
二十歳の成人式も
振り袖を着て出席するのだと思っていたら、
成人式のことも何も連絡はなく、、
結局、振袖どころか、スーツも着ず、
成人式自体行かずに家で1人で過ごしました。
当時は、
振袖はお金がかかるから、無理なんだろう。
着たかったけど、着れないなら悲しいし
式なんか別に行かなくていい。
と、精一杯の強がりで自分に言い聞かせて、
全然平気なふりをしてやりすごしましたが、
周りの子たちのキラキラした姿や話を聞いては、
どうして、いつもいつも私だけ...
親の愛情をたくさん注がれてきた子たちは
きっと
「おめでとう」とか「きれいだね」って
成人の日をお祝いしてもらえるんだろうな。
綺麗な着物を着ることだけが
成人のお祝いではないことは知ってるけど、
せめて「おめでとう」って
成長を祝ってほしかったな。
私は、生まれてきたこと、
これまで生きてきたこと、が
おめでとう、ではないのかな。
なんて思っていたことを
今は素直に思い出します。
母は泥沼離婚後
心身ともにすり減らしながら
私と兄を育ててくれたこと、
愛情表現がとても下手なこと、
コミュニケーション能力が低いこと、
そして
"脳傾向性的に"私とかけ離れていること、
が、今なら分かります。
責めるつもりもありません。
仕方がなかったのだと思うし、
母の子育てが全てだと思っていた子ども時代は
今になって、違うやり方も
異なる考え方もあるのだと理解でき、
そこでようやく
私は自分のインナーチャイルドに気づいて
辛い過去をアウトプットして
自分を慰めることができました。
今回、長女の『二十歳』のお祝いで
綺麗な振袖で晴れやかに式に参加し、
素敵な写真撮影もしてあげれることで
私の出来なかったことを
娘にしてやれる喜びと同時に、
どこか私のインナーチャイルドが
「いいなぁ」「私もやりたかった」
と羨ましがっていることにも気づきました。
その気持ちに蓋をせずに
「そうだよね」
と優しく慰めてあげれる自分もまた、
成長したな、と思う私です。。