傷つけられることに慣れても、傷つかないことにはならない。
あなたはこれまで
傷ついたことはありますか?
多かれ少なかれ、
人は誰しも傷ついたことはあるはずです。
困難なこと、しんどいこと、傷つけられること
が多ければ、人はだんだん
免疫ともよべるような“慣れ”を
感じることがあります。
「大丈夫、大丈夫。慣れてるから」
そんな言葉で平気なふりをしたこと、
何度あるでしょう。
それは一見
自分を守る盾のようにも思えますが、
人は、
傷つけられることに慣れても
傷つかないことにはならない
のです。
昨今
パワハラ問題が連日報道され、
政治にスポーツ、あの宝塚歌劇団でも
自殺問題がおき、
大きなニュースになっていますね。
ハラスメント行為は
大きな戸惑いや不安、悲しみで
心が締め付けられます。
それが続くと、
人はそれが
“こういうものだ”
と思いこんで、時に錯覚し、
いわゆる慣れてくるのです。
傷つけられることがいわば日常化してしまうと、
人は麻痺してきたような感覚に
陥ってしまうことがあり、
傷つくことも、うまく消化した気になり
平気だと思ってしまうんです。
しかし、
「平気だ」「慣れた」と思っても、
でははたして
傷つかなくなるのでしょうか...?
答えは
『NO』です。
何度繰り返し同じことで傷つけられ
それに慣れたとしても、
傷つかないことには
ならないのです。
人は、
繰り返し、繰り返し
同じ痛みで傷つくのです。
私の娘も
幼い頃から8年もの間続けてきた
スポーツ競技生活で、
楽しかったことも苦しかったことも
たくさんありますが、
指導者によるハラスメントを
繰り返し受けてきました。
「強くなるためには
上手くなるためにはしょうがない」
「こういう世界だ」
「きっと娘のためを思って...」
いわば親子で洗脳されてしまっていた部分は
大きいですが、
暴言によるハラスメントを受けるたびに、
それをうまく消化して気持ちを切り替えようと
必死でした。
そして月日がたつにつれ
それは“慣れ”てしまい、
気にしなくなることを
“成長”という間違った言葉で正当化
していたのです。
「傷つかない」
そう自分に言い聞かせていただけで、
本当は
何度も、何度も、何度も
毎回、同じ痛みで
傷ついていたのです。
宝塚の事件は
真相はいまだ明らかではありませんが、
自殺という最悪な結末を迎えてしまいました。
傷つけられることに慣れていたのかは
分かりませんが、
同じ痛みを受け続け、
それは心だけでなく、身体も
正常に動かなくなり、
生きていくことをやめる決断を
してしまったのです。
あなたは、
あなたの家族は、
傷つけられていませんか?
「大丈夫」だと言うその笑顔は
本物ですか...?
傷ついたことを「傷ついた」と
何度でも声に出せる、
自分が自分の気持ちに正直にいれる
そんな人間でいれますように、
私もブレインアナリストとして
全力でサポートできる人間
でありたいと思います。